耐病総太り 回顧録 F1青首ダイコンはいかに市場を変えたか 前編(タキイ種苗株式会社)

  • 2020/07/02

Responsive image
目次
序章 − 「耐病総太り」誕生前夜
序章 − 取り残されていた「宮重」
第1章 − 青首ダイコン周年供給の第一歩“耐病・早太り・そろう”
第1章 − 期待以上に仕上がった特性“ス知らず”
第1章 − 品種の幅を広げた第5の特性
第2章 − 中京・関西市場向け指定産地で一番の反響
第2章 − 冷涼地でも好評「耐病総太り」
第2章 − 東北・山形でも悩みが一度に解決
第2章 − 北九州で鼻高々
第2章 − 新興産地が「源助」と競ってトップに

序章 − 「耐病総太り」誕生前夜

Responsive image

1974(昭和49)年、日本人初のノーベル平和賞が佐藤元首相に授与されたこの年、一つのダイコン品種が世に問われました。後にダイコン市場を“青首”一色に変えることになる「耐病総太り」という品種です。

今では見慣れた首部が緑色の、いわゆる青首ダイコンがあふれていますが、当時の首都圏を中心とする関東市場は白首品種ばかりで、出荷する産地も当然、白首品種に限られていました。ほかの地方市場でも白首が主力となり“青首”はローカル色の象徴の感さえありました。

現にタキイは、市場規模が大きい白首品種のF1化の育種を先行させていました。昭和36年に発表した世界最初のF1品種(※)である「春蒔みの早生」(写真1)を皮切りに、立て続けに主力白首品種のF1化に成功(第1表)し、発売種はどれも好評で産地の注目の的となっていきました。それらのF1化に続き、ようやく産声を上げたのが青首の試作品種「試交119号」(写真2)で、大きなねらいをもつ期待の星でした。その後、2年の試作を経て「耐病総太り」として一般に発売されました。

※F1品種とは…一代交配種。品種や系統の違うAとBを両親とする雑種の一代目。雑種強勢の遺伝法則により、親品種と比べ生育や形質がすぐれる。

序章 − 取り残されていた「宮重」

Responsive image

過去の青首ダイコンはどういう存在だったのでしょうか。青首系の主力は「宮重」という、古くは江戸時代より尾張宮重の名産と称され、全国的にも方々で馴染みのある品種となっています。中でも総太り系(写真3)は煮食、生食、切り干し用に使用され、夏ダイコンから秋ダイコンに移る秋の味覚の走りとしても重宝されてきました。

戦後、宮重系ダイコンは病気に弱く、ス入りが問題といわれながら用途も広く、品質面での魅力と土質を選ばない栽培面の特性から農家に根付いた品種で、特に中京や関西市場では白首に比べて品質面での根強い人気はありましたが、作りやすい「みの早生」や「大蔵」(写真4)などの白首系が量的にも市場を専有していました。しかし、古くから全国的に根強い需要のある品種に、食味を大事とする時勢に応じた見直しが要望され、やがて生まれ変わる時機到来となったのです。

タキイ研究農場では白首F1育成の傍ら、「宮重」の検討も始めて、複雑な問題がある中でも最優先は、「宮重」の欠点である耐病性の付与と「宮重」本来の肉質をさらに極めること、加えて、早どりできる品種を目標に注力してきました。その結果10年余りを要し、「宮重」青首ダイコンは「耐病総太り」という名前で、ローカル市場から全国中央市場へ飛び出したわけです。

第1章 − 青首ダイコン周年供給の第一歩“耐病・早太り・そろう”

Responsive image

「耐病総太り」発売のころ、周年供給の動きが各産地で広がり、日本各地の青首地帯では周年対応に苦慮していました。在来種で出荷を早めようとすれば病害が問題となり、適期栽培の青首は、特定の産地以外では地場消費にとどまり、遠距離出荷は白首品種による対応が大方でした。

「耐病総太り」は「総太り宮重」よりも一段強い耐病性と“形が早く整う”という特長をもたせ、周年栽培向きの品種となりました。早速、早出しを企画した産地の試作栽培圃場から力強い歓呼の声が上がりました。 また、尻詰まりがよく、そろっていることが一層商品化率を上げ、従来種との格差を歴然と示しました。当時、山形県野菜専門技術員だった鈴木洋氏は、「初めて本種と出会ったのは、山形園試で全日本秋大根原種審査会に出品された際だが、耐病性は当然のことながら、均一な生育と根身のそろいのよさにびっくりしたのを思い出す。まだ試作番号だったが、当然のごとく上位入賞を果たした」とその時の衝撃を回想されています。

第1章 − 期待以上に仕上がった特性“ス知らず”

Responsive image
「耐病総太り」は「宮重」のおいしさを維持しながら、従来種より暑い時期にも耐える耐病性と、形が早く整い、早出しできる、そのうえ“ス知らず”が大きい育種目標とされました。ス入りとは、ダイコンの老化現象で、内部はスカスカ、ひどくなると穴あきとなり、当然のこと商品価値はなくなります。一般に早生品種はスが早い傾向にありますが、「耐病総太り」はいつまでも老化せずに若々しく太り続ける特性をもっているためか、早どりできる品種にもかかわらず、スが遅い品質に仕上がりました。市価を見ながら圃場で出荷期を安心して決めることができました。また、寒冷地の貯蔵ダイコンとしての品質向上にも貢献します。このス知らずともいえるス入りの遅い本種の特性が、青首ダイコン産地に活性と安定をもたらし、産地を大きくしていった要因といっても過言ではありません。

第1章 − 品種の幅を広げた第5の特性

Responsive image

秋ダイコンには抽苔の早いものが多いですが、「耐病総太り」は幸いにも不時抽苔の危険が少ないことが冷涼地の試作で確認されました。秋ダイコンにはない抽苔の鈍さが、冷涼地での作型に広がりを見せることになり、また暖地でもトンネル栽培などが始まって、青首の周年供給に貢献することとなりました(写真5、6)。

当時のタキイでこの育種に携わった山下俊正(当時根菜科長)は、発売から2年後の昭和51年に「耐病総太り」の人気について以下のように記しています。

「幸いにして本種の栽培地は広がり、北海道から沖縄まで全国各地に産地ができたが、多少異常とさえ思えるこの人気は何によるものだろうか、早く太って形がまとまり、病気にもかなり強いということがもちろん第一の理由として、それと同時に見逃せないのが、本種は早どり用の品種にもかかわらずス入りが非常に遅いことがあげられる。収穫期の幅が広く、安心して栽培できるのみならず、場所によっては遅出し用として、あるいは北海道など寒冷地の貯蔵用ダイコンとして好評であるなど、栽培の幅が人気を盛り上げている。加えて歓迎された特長は、高冷地栽培での不時抽苔の危険が一般の秋ダイコンより少ないということ。これは、育成時に早どりとして望ましい特性だと考えていたが、積極的に早期抽苔性を淘汰したわけではないので、いわば怪我の功名。耐病性と相まって高冷地での8月出荷が安心できるようになった』と、分析しています。

第2章 − 中京・関西市場向け指定産地で一番の反響

富山県では秋冬ダイコンの作付面積が昭和48年には648ha、その内240haが国の指定産地というダイコン生産拠点でした。指定産地の立野原、とやま、新川地域にはひと足早く昭和47年に「耐病総太り」が導入されています。立野原、新川地域から主として関西市場、とやま地域は県内の富山・高岡市場へ主に出荷されていた関係で、栽培品種はほとんどが青首「宮重」の総太り系、長太系、切太系の固定種でしたが、どれもウイルス病に弱く、根部の形状は曲がりダイコンになりやすいと上級品の出荷は少ない状況でした。こうしてもともと「宮重」になじみが深かった中京・関西市場において「耐病総太り」への転換は、“青首=「耐病総太り」”のイメージになっていたと思われます。

当時の状況について富山農試砺波園芸分場主任研究員であった西川久夫氏は、「従来の固定種に比べて格段によくそろい、曲がりが少なく、病気(ウイルス、黒斑細菌病、軟腐病)にも強く、葉が短くて取り扱いやすい、そのうえ出荷本数が20~30%増加し、すばらしい成績を上げて“今年は絶対『耐病総太り』にしたい”という農家の声をよく聞いた」といいます。西川氏は試験場にて昭和48年に実施された推奨品種選定試験を担当し、「耐病総太り」の圧倒的な有望性を報告しています。また、富山県種苗協会主催の秋大根原種コンクールにおいて、昭和47、48年の2年連続して「耐病総太り」が第一位を獲得しました。

第2章 − 冷涼地でも好評「耐病総太り」

Responsive image

いち早く「耐病総太り」が導入された産地の一つ岐阜県ひるがの高原は、標高約900mの高冷地のダイコン指定産地で、集出荷所・大型洗浄機・トラクターなどの装置化が進んでいました。夏ダイコンの品種構成は「春蒔みの早生」「夏みの早生一号」「夏みの早生二号」「総太り宮重」でした。

当時、農業改良普及員長尾幹氏によると『総太り宮重』は味の点で市場からの要望が強かったが、冷涼地とはいえ『みの早生』とは違って、高温時の栽培は病気(軟腐病、ウイルス病)や生理障害、また葉の過繁茂による肥大不足、場合によっては抽苔まであって営利栽培は無理と考えていた時、幸運にも『耐病総太り』が登場し、この試作で青首ダイコン早出しの見込みがつき、産地として一歩先を行けると組合員の気持ちが盛り上がった」と記されています。

ひるがの高原と並ぶ大阪市場の主産地、準高冷地蒜山高原(岡山県、500~600m)でも10月出荷は「みの早生」から「耐病総太り」に切り替えることで、石川県の地ダイコン「源助」と対等に勝負したといいます。

第2章 − 東北・山形でも悩みが一度に解決

地元の種苗店、高橋清四郎商店(現・(株)上町のタネ)主、高橋清一郎さんの記述によると、 「ウイルス病が次第に増える状況下で、山形市周辺から高冷地にかけて内陸部で栽培されていた青首総太り系を耐病性のある「大蔵」に転換させようとしたものの、青首の根強い人気からうまく行かなかった折り、『耐病総太り』の登場で救われた心境である」と語っています。さらに「秋冷の寒地の弱日射でも肥大がとてもよい。抽根性が強いにもかかわらず、『長太宮重』のように曲がりが出ず、圃場に置けば次第に長さのある総太りのほれぼれする形になる。調査に行くのが遅れて根茎8~9cmにもなった圃場があったが、ス入りの兆候はなく、農家に叱られずに済んだ印象がなお脳裏に焼きついている」とし、自信をもって販売できる優秀な品種だと結んでいます。

第2章 − 北九州で鼻高々

西日本では、北九州市場に出荷する下関市椋野町の専業農家植村次男さんの声が残っています。

「昭和47年の秋、滋賀県の研究農場の展示会で見た『試交119号』(『耐病総太り』)を一日でも早く、栽培してみたいと思い無理勝手にお願いしたところ、翌年試作の機会を得た。

下関と北九州地方は以前から『総太り宮重』を多く栽培しているが、私の地方は昔からの野菜地帯で、土地が老朽化して病気が多く、従来品種ではまったく収穫皆無の年もあった。

『試交119号』は8月20日に播種したが品質は見事なもので肌は美しく、太り、長さともよくそろい、ス入りなど1本もなかった。北九州市場に出荷したが、従来種など比較にならず人気最高で鼻高々だった』と地元市場で驚きをもって迎えられた様子を伝えています。

第2章 − 新興産地が「源助」と競ってトップに

Responsive image

福井県の坂井丘陵地は国営の開拓事業により、広大な畑作地帯となりました(写真7)。基幹作物はスイカとダイコンで、ダイコンは「耐病総太り」に統一され、昭和48年5haだったダイコンが51年には77haとなり、出荷量でも主たる大阪市場で見ると、「耐病総太り」の産地化に着手してから49年344t、右肩上がりに51年には1939tと県別入荷量1位になり、価格も石川県の「源助」(写真8)を抜いて市場最高価格で取引されました。このように「耐病総太り」は新興産地にも大きく寄与しました。

※正式な品種名には「○○大根」とつく名称がありますが、“ダイコン”が頻出するため省略しています。

※地名、会社・部所属・役職名については、昭和48~61年の「園芸新知識」から引用し、当時の名称を表記しており、現在の名称とは異なる場合があります。


  • 2020/07/02

  • タネニュース大根

この記事を書いた人

タキイ種苗

これは広告です

おすすめの記事