耐病総太り 回顧録 F1青首ダイコンはいかに市場を変えたか 後編(タキイ種苗株式会社)

  • 2020/07/03

  • タネニュース大根

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目次
第3章 − 関東にも青首の波
第3章 − 関西の広がりは
第3章 − 徳島鳴門の冬どりダイコンが一挙に「耐病総太り」一色に
第4章 − 台風がきっかけで「耐病総太り」が三浦半島へ
第4章 − 全国に「耐病総太り」の名が広がる
終章 − 愛され続けるおいしさと品質
終章 − 全国各地で地ダイコンとなった「耐病総太り」

第3章 − 関東にも青首の波

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昭和50年代に入って白首が中心の関東市場でも異変が起きていました。東葛中央青果(株)(東京千住青果株式会社に吸収合併)の当時専務取締役山田耕次郎氏の記述を見ると、「関東では90%以上が白首だったが、昭和46年長野で栽培された『試交119号』を見てその姿に驚き、一目ぼれしたのは私だけではなかった。近郊の生産者も『これが青首ダイコンだろうか? 』と不思議がるほど。種子が量産された51年になって長野県の準高冷地で大量試作させ、中間地の『夏みの早生』および『大蔵』と並べてセリにかけた結果、価格に大きい開きがあった。買い出し人は『このダイコンなら安心して売れる』というし、消費者からも『こんなうまいダイコンはほかにないのではないか』とまで賞賛。翌52年には『耐病総太り』が市場に姿を見せ始めたとたん『夏みの早生』系、『大蔵』系などの白首の人気が急落し、『耐病総太り』のみ高値で取引されるようになっていました。この現象は当社ばかりではないはず」と、「耐病総太り」の関東市場への華々しい登場を伝えています。

千葉県印旛郡富里村のダイコン篤農家、大竹洋男さんは「秋ダイコンは白首がほぼ100%を占め、青首の栽培を躊躇していたが、昭和52年度に栽培した『耐病総太り』は今までの不安をいっぺんに解消し、品種選択の革命的な年となった」と語っています。「耐病総太り」は関東のダイコン文化を白首から青首へ徐々に塗り替えつつありました。

「耐病総太り」はなぜこんなに異常ともいえる人気があったのでしょう? 東京築地青果(現・東京シティ青果株式会社)野菜部次長(当時)、木下政夫氏は、その人気について築地市場でダイコンの神様といわれた仲卸の綿亀さんに聞いたところ、「第一にダイコンで一番大切なス入りがないこと。築地市場では、新鮮な魚を関東一円に供給している東洋一の魚市場を控えているため、ス入りのないつま用ダイコンが必要になる。加えて形状もよく、食味(甘み)がすぐれ、適度のやわらかさと水分をもっている。煮食やおろし、なます、漬物とほかの品種に比べ抜群に用途が広い」との答えが返ってきたといいます。この時期、業務用はもちろん一般の消費者からも「八百屋さん、青首ダイコンなぁい? 」とよくいわれたそうで、量販店でも同じ状況でした。人気に火が付いた以上、関東市場では入荷量を増やすべく、特に4~7月どりの産地の育成が急務になったと木下氏は当時の事情を回想しています。

第3章 − 関西の広がりは

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京都市場、京都青果合同(株)の大江氏によると、当時の入荷情勢について「1~4月が『大蔵』、5~6月が『時無』『春みの早生』、7~9月が『夏みの早生』、10~12月が青首の『耐病総太り』で、当初2~3カ月の販売だった『耐病総太り』が、50年代になってから、5~6月、9月~2月と8カ月間にも及ぶようになった」といいます。

京都市場には、減反政策で栽培された新興産地からのダイコンが入荷されるようになり、そのほとんどが「耐病総太り」ということでした。

第3章 − 徳島鳴門の冬どりダイコンが一挙に「耐病総太り」一色に

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徳島農試町田野菜課長によると、「昭和52年指定産地関係の品種選定は『冬どり大蔵』などの大蔵系が中心で、現地では青首を加える検討は必要なのかと疑問視する声すらあったが、昭和53年の試作から昭和54~55年の2年間で、これまで約20年続いた『大蔵』はまったく姿を消し、『耐病総太り』一色に変容を遂げた」とのことでした(写真9)。

昭和54~57年の品種試験成績の概要によると、各年5~10品種、延べ25品種の品種比較(花成、抽苔、そろい、肥大性、ス入りなど)を行い、その調査を総合して、昭和54、56、57年では9月下旬と10月上旬まきの両期ともすべての各作期で、「耐病総太り」がNo.1の最優秀品種と認定されました。

そして徳島以外にも全国で「耐病総太り」を用いた周年出荷体系が確立されていきました(第2表、写真10)。

第4章 − 台風がきっかけで「耐病総太り」が三浦半島へ

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冬どりダイコンの特産地として自他ともに許してきた三浦半島に、耐病性とはいえ青首の入り込むすきはないという地元民の意識は当然のことと考えられました。ところが昭和54年の秋、大型台風16号と20号が相次いで関東を直撃、特に20号の被害は大きく、三浦半島のダイコンも芯葉のみとなるような壊滅的な被害を受けました。それと同時に台風は思わぬ置き土産を残していったのです。

その辺りの事情は三浦市のダイコン生産農家、鈴木兵七さんの翌55年の記述に、「昨秋の特に10月に襲来した20号台風は大きな爪痕を残して去った。どの農家も転作かまき直しかで迷った末、各人各様に種子探しを始めた。私はたまたま千葉県津田沼の宮坂種苗店のすすめで、『耐病総太り』という立派なダイコンがあることを知り、早速買い入れた。というのは『三浦』の場合、10月中旬以降のまき付けでは良品の出荷ができなかったという過去の経験があったためだ。かといって『耐病総太り』なら万全だとする経験などもちろんなく、ただただ種苗店を信用し、10月22日から栽培に入った。案ずるより産むがやすし、栽培結果は上々で思わぬ成果をあげることができた。第一に割れがなかったこと、第二に抜き取りやすく何回でも間引きしながら良品を出荷できたこと。昨秋まき付けしなかった農家からは羨望の的にされ、目下のところ『耐病総太り』の話題は渦を巻いている」とあります。

台風は華々しく置き土産として「耐病総太り」導入のきっかけを振りまきましたが、その下地は産地自体でぼつぼつ準備されていたと思われます。

第4章 − 全国に「耐病総太り」の名が広がる

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神奈川県横須賀農業改良普及所の池谷氏は、青首(「耐病総太り」)導入について「三浦半島は100年近く前から今日まで、1~2月の厳寒期でも葉の緑は濃く、根部は白く、肉質はやわらかい“冬の三浦ダイコン”として、京浜市場のほぼ70%を占有してきたが、昭和40年後半から少しかたくなったとの声、50年代に入りダイコンとしては大きすぎるという批判が、市場価格を下げる事態になっていた。そこで市場動向に合わせるべく、播種期、畝間、株間など小型化の方向に栽培様式を転換したが、市場価格は必ずしも反応せず農家の反発も高かった。

昭和54年(台風の年)、ごく少数の農家が青首『耐病総太り』の導入を計画、自家採種の『三浦』と交雑を起こさない対策を守るという条件で種子を畑に下ろした。台風の被害にはあったが、まき直しには太りの早いこの品種が適応と判断されて、当初の計画だった30haに追いまきが加わり、同年の青首栽培面積は60haになった。その後台風被害も回復し、まき直しの青首も立派に収穫できた。ところが、販売価格は総平均単価で『三浦』1,111円、青首2,088円で、この価格差が昭和55年の青首『耐病総太り』の作付け急増の主原因となり、昭和56年は青首が『三浦』を上回るような作付けが計画されている」との記述です。

前述の富里村の大竹さんは「例年11月下旬になると関東市場では『尻づまり』から『都』、『三浦』へと移り、『三浦』が出荷されだすとそれまでのダイコンは値下がりするのが通例だが、私の出荷した『耐病総太り』は値下がりしなかった。『耐病総太り』はこれらに十分対応できるということだと思う』といっています。

すでに全国に名が通った「耐病総太り」でしたが、三浦半島に青首「耐病総太り」が入ったという市場へのインパクトは大きく、全国のダイコン産地に伝わりました。そして「耐病総太り」が台風被害から三浦を救ったというエピソードとともにその名を残しました。それは同時に、すばらしい特性をもった地ダイコンとの住みわけに努力した産地の逸話でもあります。

終章 − 愛され続けるおいしさと品質

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煮食用青首ダイコンの肉質で最高種といわれる品種が京都で育った「宮重」由来の「聖護院」です。タキイでは「試交119号」が完成する前、昭和46年には「早太り聖護院」(写真12)が、次いで47年には「冬どり聖護院」という交配種を発表しています。「耐病総太り」はこれらを念頭に置きながら、これらより煮崩れせず、甘みがあってコクのある肉質を目標に仕上がったといえます。また、「宮重」の濃緑な青首とは違って、ライムグリーンの軽やかな青首とつやのある白肌とのコントラストは、白首市場にも受け入れやすかったと思われます。

「耐病総太り」発売以来、四季を通じて青首が当たり前の時代に、もはやスの入ったダイコンなど知らぬ人たちの世代になりましたが、農家の自家菜園には必ずといってよいほど愛用されています。栽培適応性が広く、味がよく安心して畑における、しかも使い道が広いことなど、その特性を体で体験した農家なればこそで、家庭菜園でも珍重される品種になったことはうなずけます。

終章 − 全国各地で地ダイコンとなった「耐病総太り」

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昭和49年の発売から50年代の半ばにかけて「耐病総太り」は、大変な勢いで全国に青首を定着させました。生産者は“青首=「耐病総太り」”、消費者は“青首=おいしいダイコン”と認識したといえるでしょう。「耐病総太り」という品種名こそ表には出ませんでしたが、消費者は“青首ダイコン”と呼んで歓迎しました。前述の東葛中央青果山田氏は、発売当初の記事の中で「このダイコンを一般に青首、青首、と呼んでいるが一般の青首と混同してはならない。一般に青首といえば首が緑色に着色し、煮ると甘みがあってうまいと定評のある「宮重」の俗称だが、いわゆる青首にもいろいろあって、玉石混淆してはならない」とも述べ、「品種改良について『生産者、消費者の双方に喜ばれるものが真の改良である』というこの言葉はまさに『耐病総太り』のためにある」と最大の賛辞で投稿文を結んでいます。

発表以来ほぼ40年がたつ「耐病総太り」。時間の経過とともに産地での役割は十二分に果たし終わったかもしれません。発売当初の種子不足の後に、一時は全国のダイコン栽培総面積(農林統計)にまいてもかなり多量に余る量の種子が出荷され、どこへ消えたのかとさえ思われましたが、世間の評価が高かった証しでしょう。

現在、家庭菜園でも人気一位で各地の直売所でも顔を見せている「耐病総太り」は、全国の地元に根付き地産池消の地ダイコンとしてこれからも愛されてゆくでしょう。

※正式な品種名には「○○大根」とつく名称がありますが、“ダイコン”が頻出するため省略しています。 ※地名、会社・部所属・役職名については、昭和48~61年の「園芸新知識」から引用し、当時の名称を表記しており、現在の名称とは異なる場合があります。

この記事を書いた人

タキイ種苗

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